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こんばんは
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
ここんとこ「自分軸の確立」なんていう事をよく口にしているような気がしますが・・・
「自分軸」
「自己中心」
「自分を大切にする」
これらの言葉の違いって、いったいなんだろーね?(おい)
ま、「自己中心」てのは、なんかイメージ悪いけど、
結局は、「自分はどうしたい?」という問いを、自分自身に問いかける・・・という事が
「自分軸」を見つける事であったり、「自分を大切にする」ことに繋がるのではないか?と私は考えています。

これは誰の人生?私はどうしたい・・?
この「自分はどうしたい?」という問いかけ自体に、
私たちはあまり慣れていないようで、
だからこそ、ライフオーガナイズのセミナー等で
「あなたはどうしたいですか?」なんて急にコントローラーを渡されたら、
うろたえる(@_@)みたいなことが頻発するわけなんですが・・・
答えを外にもとめて「どうしたらいいの?」
と正解をさがして放浪するのが通常モードだからこそ、
人の意見に左右されて訳わからんようになって、
結果「他人軸」になってしまうのだと思います。
逆に
判断を他人に委ねたほうが、責任を負わなくていいし、
いざとなれば文句を言って被害者の立場をとればいいから楽・・と、
深層心理で思ってしまう自分がいたとしたら、
「自分軸」なんて言葉自体、魅力的には思わないかもしれませんね。
目次
■じゃあ、自分の事だけ考えて、他人がどうなろうとかまわないの?
とまあ、こんなふうに「自分軸」を意識したり
「自分を大切にする」というスタンスで生きるようにしてみたら、
「じゃあ、私は自分だけが良ければそれでいいの?他人の事はしらんぷりでいいの?」
なんていう疑問がふっと浮かんできたりします。
そこいらへんが、私も正直、よくわかりません。
■「自分軸」は諸刃の剣。キャパの大きさによって良くも悪くもなる。

これは二刀流?
ただ、「自分軸」とは諸刃の剣なんだろうなとは思っていて、
その人のキャパの大きさによって、良くも悪くも変わる・・のではないかと。
だから、「こうしたい」という自分軸がいくらしっかりと確立していたとしても、
その人のキャパを超えていたら、周りにはみ出してしまう。
とてもバクっとした例えだけれど、
その人のキャパって、「収納スペースの余裕がどれくらいあるか」みたいなもんかも。
収納スぺースに全くゆとりが無く、パンパンなのに、
さらに「欲しいから」と服をまた買ってきてしまうと、
当然クローゼットは乱れるし、使いにくいし、管理も大変だし、
挙句には、収納からはみ出て、リビングの片隅にハンガーポールを置いて、服を吊る羽目になる。
「こうしたい」「この服欲しい」という自分の心に正直に生きたいのならば、
クローゼットに、それらを受け入れる余力が無いとね。
■心の余力があれば、自分を大切にしながら、他人も思いやれる。

これくらい棚に余力があれば、多少忙しくなっても何種類もの書類を受け入れる事が出来る。束の書籍が来ても大丈夫!どーんとこい!
収納スペースにゆとりがあったら、
そのほかの場所で少しくらいモノがあふれても、それらを受け入れてくれるから
全体をきれいに整えるためにはとっても助かる。
心も同じで、自分にゆとりがあれば、
自分の事を犠牲にしなくても、余力で他人を思いやる事ができるのかもしれない。
■自分の事しか見えていない人は、ぎっちぎちのクローゼット
時々、「こいつ、自分の事しか見えてねーな」と思うような子供がいるけど、
それは、心の収納スペースに余力が無いんだろうなと思う。
自分を満たす事で必死で、周りを見たり、思いやる余裕なんて無い。
その子の心の収納スペースには、本当はその子に必要ないものもたくさん、押し込まれているのかもね。
心のスペースも、現実世界の収納スペースも、
ぎっちぎちのパンパンでは、どうにもならんよ。
必要無いものは手ばなして、
自分の宝物をたっぷり詰め込んでも、
なおかつスペースにゆとりがあるような心を目指したいもんです。
ちょっとくらい、急に荷物が増えても慌てふためかないようなくらいのね(^^)。

スッカスカ。
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理
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