無理に捨てないがテーマの私だけど、いきなり捨てたくなりました。
おはようございます。
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
ブルーな気持ちにならないように、と思いつつ、日々増える東京のコロナ感染者数と、いろんな事が停滞しているこの閉塞感に加え、愛猫まめつの具合がすこぶる悪い・・・。
それにさらに、寒い雨(´;ω;`)。
どうしてもネットでいろんな情報を探してしまいます。
そんな中、昨日とある一つの「片付け・掃除」ブログに出会い、「使っていないモノの波動はどんどん低くなる」という言葉に影響を受け、夜中にもかかわらず即効モノを捨て始めました。

朝一でこんなに捨てた💦
そして、今朝も起き抜けからどんどんモノの見直しをスタート!
つい先日「捨てなくてもよくね?」的なブログをアップしたばかりなのに、舌の根が乾かぬうちにこの所業・・・それ、どうなんよ。
でもねー。
コロナだけでもうんざりなのに、しかもその他の不安要素(まめつの不調やら、なんやらかんやら)が乗っかってくると、さすがの楽天的な私も行動がストップしてしまい、出口の見えないトンネルに入ったような気持ちになってしまったのです。
で、究極の対策はやはり、「手放し」だという結論に。
家の中から、可能な限りのネガティブ要素を排除!そうすれば、気持ちもきっと軽くなる💦と、祈るような気持ちで断捨離を始めたのでした。
「低波動」なものは「〇んこ」とおなじ
ちょっと例えがアレで申し訳ないけど、
そのブログの人が「使わないものはどんどん低波動になっていく」という言葉と同時に、
「低波動なモノは例えるなら〇んこ」だと言っていて
言い得て妙・・と変に納得。
このブログでも、過去何回も「断捨離~」とかいって、結構見直しているはずだけど、何年も捨てられていないものってやはりあるんです。びっくりですよ。
見直しても見直しても出てくる。そりゃそうだよ。一方でどんどん買ってるんだもん。
今回、朝一で捨てたものは具体的には
・過去の日記(読み返さない。不意に死んだとき困る。)
・卒業論文(もうええやろ)
・古いスーツ(リクルートスーツ的な。タイトスカートとかもう絶対履かんし。)
・古いバスマット(めちゃ古い。こんなん持ち続けていたんだね・・・。)
・古いバスタオル(これはウエスにする。)
たとえどんなに今後、貧乏になっても、モノ不足になっても、今あるもので十分に乗り越えられる。
だから、こんな古いものを引っ張り出して着たり、使ったりすることはおそらくない。
そう考えたら、なんで今までこれらを持ち続けていたのか。
「いつか使う」と思っていたんだよね。
あとは、「置く場所はあるから、おいとこか」的な。
でも、いざ全部出してみて、それらを手に取ってみると、
あきらかに「低波動」というのは、わかる気がします。
「モノにも心はある。そのモノがどんな心になっているか考えたら、モノを使わずに溜め込む事がどんな意味かわかるはずだ。」
たしかになぁ。自分でもそんな内容の記事を書いたりしたこともあったはずなのに、
実際はまだまだ手放せるものがありました。純度を高めるって、終わりなき旅ね・・・。
明確な目標「気持ちを軽くしたい」
ライフオーガナイズは、「手放す」も「手放さない」もその人が判断する事だから、
どっちがいいとか、悪いとか無いのです。
捨てたくないモノは、捨てなくていい。
たくさんモノを持っていたって、幸せなら構わない。
「捨てなきゃ・・」という自分以外の誰かからの圧力で動く必要はない。
でも、今回、私は「家の中から低波動をまき散らす〇んこを全部無くしたい!」(失礼)と心底思ったのです。
理由は「気持ちを軽くするため。」
「断捨離」の精度と、捨てない時の「心構え」

ぼくの価値を生かしてくれないなんて、ひどい。
毎回見直しをしても、それでも「不要なモノ」があるのは、その時その時で自分が変化していっているからだと思います。
前回の時は手ばなせなかったのは、その時はまだモノに執着が強いレベルだっただけ・・・。
だからこそ、
無理に捨てなくてもいいけど、
忘れてしまわないように、
時々見返して、再度自分に「本当に必要?」と問いかける・・
という手間を惜しんではいけないと思う。
それがモノに対する敬意というものだし、
それが出来ないのなら潔く手放すのが最短ルートの効率化と言う事です。
「捨てられない」と口でいいながら
散らかりを見て見ぬふりをして、モノの確認もせずに放置・・というならば、
モノがどんどん低波動化して、あげくに〇んこになったり、亡霊になっても、そりゃ仕方ないネ💨
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理
この記事へのコメントはありません。