最近『掃除』の話が多いけど
ふと思い出したから書きますね。
目次
■マンションビルメンテナンスで感じた不思議体験
昔東京で、S沢ししょうと一緒にやっていたお掃除の仕事。
恵比寿の高級マンションのハウスクリーニングも行ってたけど、そのほかにも埼玉あたりでマンションのクリーニングもやっていたんです。
階段やエレベーター、廊下などの外回りのお掃除(^^)/。
寒いときは耳がちぎれそうになるし、暑いときは道路が歪んで見えるし・・・
外のお仕事って、こんなにつらいのね💦とかいいながら、S沢師匠と車で何軒もマンションをまわって掃除していくのは、なかなか楽しくもある仕事でした。
新しく契約した初めてのマンションに行くときは、掃除が全くできていなくて
蜘蛛の巣が廊下の天井にびっしり・・・・(@_@)💦とか、
地下駐車場の砂ぼこりが半端ない・・・💦とか、
まあ、いろいろとあるわけです。
そんな時は、ほんと、「天気悪いんじゃないの?」と思うくらい、マンションの雰囲気が暗い。
そして、垂れ下がってくる蜘蛛と格闘しながら、頭にほこりをかぶりながら、
必死で掃除をする。
でも、何回か、そんなことを繰り返しているうちに、マンションの雰囲気が変わってくるのです。
明るく。
■「ありがとう」と言われた気がしたのは気のせいか
本当にひどい状態のマンションをコツコツと掃除していると、
それは「仕事だから」とかいう範疇を超えて、
「このマンションのために」という気持ちになってくる。
ちょっとでも、きれいにしてあげたい。そんな気持ちでひたすらほうきでホコリを掃き出していたら、ある時点でふっと明るく、軽くなって「ありがとう」と言われた気がした。
「マンションのために」と思っているから、きっとマンションが喜んでくれているだろうと思いながらやっているから、そう言われた気になったのだろうけど、
それにしても、その時の事は、よく覚えている。
■廃車直前の車で感じた不思議
似たようなことは、最近もあった。
長年乗っていた愛車・茶色のラパン。
私が車を買い替えてからは、娘に譲っていたが、娘が東京に行くから仕方なく廃車にすることになった。
娘に譲ってからというもの、ラパンの「ボロボロ感」は拍車をかけるように見えた。
まだ新しい私の車と比較するからそう感じるのだろうと思っていたが、
たまに運転席にのったら、びっくりするほど「貧相な感じ」に、ここまで古かったのか・・・と、驚いていたのだが。
廃車を決め、車屋さんに取りに来てもらうように連絡をしてから、
最後のお別れに、車内をなでなでして、今までの思い出に浸ろうと車に乗り込んだら・・・
「・・・?ボロボロじゃない。」
あんなにオモチャみたいに細く、ちゃっちい感じに思えていたハンドルも、
「え?」と思うくらい、充実の握り心地。「昔のまんまだ。」
■「乗り手が変わると、そんなことあるよ」
そのあとすぐに、車を取りに来てくれた車屋さんが、ラパンを見て一言。
「どしたん、急にぼろくなったな」。
そして
「乗り手が変わると、車の雰囲気が変わる事があるよ。新しい車にやきもち焼いたのかもな」
と。
最後に見せてくれた、ラパンの復活を不思議に思っていたあとの、そのおじさんの話に、
私は内心びっくりした。
「そっか・・・」
■「モノ」に魂が宿るのなら、「家」にも魂が宿っているはず。
日本人は昔から、「モノ」にも魂が宿ると考えていた。
「車」のような、人との密着度が高いモノは、おそらく余計そうなんだろう。
だとしたら、「家」はなおさらではないか。
必死できれいにしたマンションが、気のせい以上に明るくなっていく事も
今から思えば、当然の事だったかもね。
■『掃除』は家への感謝。
掃除をして運気をあげる・・・とか、よく言うけど、
そうなんだろうけど、ちょっとずれているような気がする。
運気を上げるために、掃除をするんじゃない。
私たちを夜露や寒さからずっと守ってくれている、「家」に感謝をするために、当たり前のようにきれいにしているだけなんだ。
キレイにしたから、運気があがるんじゃない。
逆だ!
■まとめ
感謝だ、愛だ、と言うと、なんか胡散臭く感じるご時世ではありますが、
片付けも、掃除も、つきつめたら「感謝」や「愛」に帰結してしまうように思います。
だいたい「感謝」や「愛」という言葉に、うさんくささを感じてしまう現代の風潮自体、そっちのほうが「歪み」なのでは・・・?とも思ったり。
この話は、また長くなるので、今日はこの辺で(^^)/
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理
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