おはようございます!
「50%片付け」脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
まめちが天国に旅立ちました。
まめちとは私の飼っていた猫です。
こんなことをブログでかくのもどうかと悩んだけど、
SNSなどではかなり登場していたから、ご報告させていただきました。
ペットの死に対してもいろいろなお考えがあるでしょうが
私は、このまめちの存在によって、
「死」というもの、言い換えれば「命」というモノに対する気持ちに変化が起きました。
■「死」を恐れすぎる事はない
まめちは数か月前、一回「もうアカン」と言うくらいの危篤状態になった事がありました。
その時、娘と大泣きしながら「その時」が来るのを見守って側についていましたが、
そこから、なんか謎に奇跡の復活をして、そこから数か月生き延びていたのです。
しかも元気に!
一旦、「もうだめだ」と腹をくくって、お別れの悲しさを味わいつくした後の復活だったものだから、
その後の復活は、まさに「ご褒美人生(猫生?)」
もしかしたら後数年は長生きしたりして・・・?
そんな期待もしつつ、
今の一瞬一瞬を、まめちと過ごそう。
そういう気持ちになっていました。
と、同時に、
「死」とは、魂が身体から離れるだけ。
そこまで恐れる必要はない・・・
という気持ちを持つ事も少しながら出来るようになりました。
■「死」は当たり前の自然の摂理
それまで私は、まめちがいつか
自分よりも先に死んでしまう事に対して、ものすごく恐怖を感じていましたし、
まめちの病気に対する不安もハンパないし、
まめちの具合の良し悪しによって、気持ちをかなり持って行かれていました。
でも、いったん極限まで「もうだめだ」を経験したあとからは、
「いつか来るとき」を覚悟して、
「死も当たり前の自然の摂理であって、自分も、みんなも同じ。受け入れるだけ。」だと思えるようになったのです。
不自由な、老いた身体を脱ぎ捨てて楽になる。
身体は、単なるのりもの。
そう考えたら、逆に
「生きる」という事にも、私が思っていたよりは本当は大した意味は無くて
死ぬことを恐れすぎる=生きる事にこだわり、執着する・・・
とかは少し違うのかもしれないな…と言う気もしてきたのです。
もちろん、生きる事を軽くみるわけではありませんよ。
生があるうちは、ありがたく精一杯生きて、
その時が来たら、あっさりと帰る。
例えば子供の公園遊びみたいな感じ?
いつか帰るんだから、公園遊びなんてどうでもいい、なんて思わないよね。
与えられた時間をめいっぱい楽しんで、時間が来たら、家に帰る。
それに近いものがあるのかもしれない。
■全てのタイミングは必然なのだとしたら
まめちが息を引き取ったタイミングは、いろんな意味でとてもベストな時でした。
また、まめちが我が家に来た時も、我が家にはまめちがとても必要な時期だったのです。
もし、全ての事に意味があるとしたら
今まで支えてくれていたまめちが、
「みんな、そろそろ大丈夫でしょ」と言ったのかもしれません。
今までまめちが使っていたモノ達を片付けたら
いろんな場所にだいぶとぽっかりと穴が空きました。
猫一匹でも、ちゃっかり住空間を占めるモノですね。
でも
あえてそこに何か別のものを置くのは、しばらくはやめておこうと思います。
収納スペースが余っても、置くべきモノが無ければ、あえてそのままフリー空間を空けておく・・のが、
私の収納の流儀ですから(^^)。
さて、今日もがんばりますか。
私が卒業の日を迎えるには、まだまだやらなあかん課題が残っているみたいなんで。
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