めっちゃ偉そうなタイトルつけてもーた。怒らんといてー。
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おはようございます!
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
先日、母キヌヨの引っ越しの手伝いをしていて
つくづく(いつもだが)感じたのは
「安いから」と安易に買うもので部屋が埋め尽くされている
ということだ。
具体的にいうと、
服だけではなく、洗剤、日用品、化粧品、文房具、などの小物。
メラミンスポンジとか、そんなにいらんやろー😭とか
どんだけふくだけメイク落としとかあるねん‼️とか
柔軟剤、何本買うんじゃ、とか
まあ、ほんまに色々ある。
手軽に買える金額のもので
ないと不安になるようなものが山のようにストックされている。
しかし「安いものなら安易に買って安易に捨てる」は
母キヌヨだけに限った話ではない。
かつての私もそうだったし
今もそんな感覚の人が山のように存在することは
どこかの国の激安通販が人気なことでもよくわかる。
みんな、安いものの裏側について
無頓着なんだ。
なんでそんなに安く売っても利益が出るのか、疑問にも思わないんだ。
「そんなの、企業努力と海外の人件費が安いからでしょ❓」
私もそう思ってた。
でも、やっぱりそれは違ってたんだ。
発展途上国の人たちも、その「安い賃金」に満足していたわけではなかった。
生きていくために、その不条理に契約に従うしかない社会構造ができていただけだったんだ。
人件費や材料費をゴリゴリに安く上げて
世界のどこか誰かを奴隷並みに働かせて作られたものを
「安い✨」と買い、「使わないから断捨離」と捨てる私たち日本人を
客観的に見て、どう思う。
安いものを買うということは、
奴隷労働に加担しているということと同義なんよ。
でも、それを知る人も、日本ではびっくりするくらい、
少ない。
そう考えたら
片付け業界は闇深い産業だ。
捨てろ、と言いつつ、一方で大量に収納ボックスを購入させる。
断捨離をやたら安易に行なって得意げになるのもまた然り。
リサイクルと称して、発展途上国に服を寄付してすっきりした気分になるのも違う。
あなたが輸出コストまでかけて寄付した服が
彼の地の砂漠で山のように捨てられているのをご存知だろうか。
炎天下放置された石油由来の化学繊維が有害なガスを出していることを知っているのだろうか。
「小手先のテクニック」や「無知識で行う薄っぺらな善意」では問題は解決しない。
しつこいようだが、解決策は
あなたの「もの」に対するあり方を変えること。
それしかない。
🔳可愛く自由に古着を楽しもう
なーんて、こういう話になると
ついつい怖そうな語り口になって
周りがドン引きして離れていくのは
環境に関わる人あるあるだ。
だから私は断じて環境家なんかではないと
SDGsなんて○そくらえだと言いたいが
こと、衣服ロスについては、ついつい
自分が仕事で服を猛烈に捨ててきた罪悪感から口調がキツくなりがちでほんとすんません。
本当は、北風と太陽のように
環境問題も、社会問題も、
優しくポカポカな太陽的なアプローチが望ましいと思ってる。
流行なんてどこ吹く風で
古着を自由にコーデしてオシャレを楽しむ若い人が増えている。
とっても素敵だ。
私たちの年代だって、自由にオシャレを楽しめる価値観に移行できたらいいなー。
アクセサリーも、道具も、すごく気に入ったものをちゃんとお金を出して買えば、そう簡単には捨てない。
家具もそう。長く使えば味が出る素材を選んで
孫の代まで使ってもらえそうなセレクトを心がけたいものだ。
捨てないでずっと使うと思えば、
変に安いものを買って、しょっちゅう買い換えるよりもずっとコスパがいい。
ちゃんとお金を払うことで、
作り手への感謝を表すこともできる。
大体お金は循環してなんぼだという。
お金の概念を覆すこちらの話は必見(27分くらいから見てね)
回せば、どこからか、また帰ってくる。
ペイフォワードだ。
愛でも、感謝でも、笑顔でも、お金でも、
出せば、ぐるっと回って自分にいつか帰ってくる。
逆に、抱え込んで出さないと帰ってこないのかもしれない。
不思議だね、お金って。
🔳「丁寧」がキーワード
あと、この末期的資本主義社会から脱出する方法として
「丁寧」が意外と大事なキーワードなんじゃないかって思うようになってきた。
私はせっかちだし、
手抜き、効率大好きな
せわしない人間だから
昔から「丁寧な暮らし」というキーワードが苦手だった。
が、齢50を超えたあたりから
「丁寧」って、大事かもな・・・と思うようになってきた。
まだまだ実践途中で
偉そうなことは言えないんだけど
今後どんどん「丁寧」を暮らしの中に入れていきたい。
それが夢だ。
食材を丁寧に扱い、気持ちを込めて料理すれば味が変わるという。
丁寧に皺を伸ばし、綺麗に服を畳むことで気持ちも整うような気がするのはすごくわかる。
波動とか、よくわからないけど
気持ちの「気」というものが
いわゆる、波動というものなんだろうか。
苦しんで死んだ牛の肉は
苦しみの波動が残っているという。
過酷な環境の中、苦しみながら作った服にも、そんな波動はきっと残っているような気がする。
ならば
幸せの波動を纏うものだけを身の回りに置きたいし
幸せの波動を纏うものだけを、自分自身も生み出したいものだ。
そして、その方法の一つが「丁寧」という所作なんじゃないかな。
いやー、せっかちの早食い、まじやめようや。
反省。
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