幸せになる法則は、これしかない。
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おはようございます!
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
片付けブログなのに、
連日TOLAND VLOGネタばかりで
非常に申し訳ないんだけど
私が今まで伝えたかったけど、
うまく伝えることができなかった
一見「偽善」に思えるような言葉が
体験として「体感」できたから
忘れないうちに伝えたいと思って、今日も書きます。
🔳「人のために」動くことは良いか、悪いか
私ね、ずっと
「自分が満たされる前に、人のために動くことは偽善」という
価値観になぜかとらわれていたんだ。
アドラー心理学でも
「他人の課題」という言葉があり
その言葉から
他人に対して余計な手出しをすることは、あまり良くないんだろうな
と考えていた。
でも、今回、その考えは少し違うかもしれんなーって
考えを改めたんだ。
自分が満たされていなくても
出来る範囲で他人の助けになることで
助けてもらった側の相手も
助けた側の自分も
お互いがほっこりと幸せな気分になれるんだよね。
つまり、ゼロから2を生み出す奇跡が起きるということ。
私たちって、
「他人に迷惑をかけてはいけない」と教わって育っているから
「助けて」と人にいうことがとても難しくなっているけれど
このグレイトラックフェスでは、
もう「助けて」で全てが動く感じなんよ。
助けてと言われたら、
ホイホイみんな動く。だって、そのためにいるんだし、それ以外にすることないしね。
そしたら、それが当たり前になって
スタッフ以外の誰かでも
「無くしものを探して」とか
「バッテリーが上がった(私のこと)」とか
「子供が迷子になった」とかも
グループラインでポンポンと揚げておけば、
誰かが動いてくれる仕組みが整っていた。
そして、問題が即解決して、
お互いがほっこりといい気分になるという
幸せの量産体系が構築されていたんだ。
さらに
「ご恩を受けた方に確実にお礼を言わなければいけない」
というルールさえも、
銀ちゃん(エコビレッジビルダーの山納銀之助さん)の
「受けたご恩は、他の誰かに返せば、いずれ巡り巡ってその人に届く」という全自動の法則によって
ふわっとした感じになっているからプレッシャーもないんよ。
なんだ、自分が満たされていない不完全な状態であっても
人を助けてもいいんだ。
今となっては当たり前のことだけど
私は、何か人を助けることは、干渉しているようで
相手を弱いものとして見ているような罪悪感を抱いていたんだよね。
「いい人」認定されたら、常に助ける側になってしまって、
「くれくれ星人」ばかりがまわりに寄ってくるんじゃないかって怖さもあった。
まあ、確かにそれも無くはないと思うよ。
グレフェスに来るような人は、ある程度「わかってる」人たちだから
うまくいった、というのもあるかもしれない。
でもね、
やはり「幸せ」ってのは
相手があってのものなんだよ。
人は、一人では、
幸せを感じることは難しい。
人間関係、めんどくさい時もあるし
一人が好きな人もいるだろう。
これは私個人の考えで、当てはまらない人もいると思うが
今の日本は、どんどん「個」のつぶつぶばかりになって
いるような気がしていて
私は
それがある意味、この国の「病」だと感じているんだ。
二世帯住宅は今やほぼ存在しない。
なんなら、「家族」という形すら、
離婚率の高さで崩壊しつつある。
若い子も結婚しない率が上がり、
このままでは、国民総「独身」時代が到来するだろう。
それではこの国は終了だ。
いや、国がどうとかいう話ではなくて
単に
そんな世界はつまらないと思うんだよ。
楽かもしれないが、
つまらない。
幸せとは、なんだかんだ
めんどくさいことの上に存在するもののように思う。
苦労して建てたテントだからこそ、達成感がある。
みんなでやるからこそ、「ばんざーい」とか、言える。
そして人助けをすることは、単純にいい気分になれる。
自分の力で人を幸せに出来るなんて、最高じゃないか。
「偽善」❓
偽善的であっても、別にいいじゃないか。
そんなことを私たちは、
毎日の妙なしがらみでぎゅーぎゅー苦しい日常の中で
つい忘れちゃっているんだろうな。
だから
いま、ここで思い出そう。
ささやかな日常の中の、
めんどくさい「仕事」が
誰かを幸せにしているということを。
そしてあなたは、それが出来るということを。
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