自己否定が-骨の髄までインプットされてしまっている私たち現代日本人が
自分を取り戻すためには何が必要なのか。
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おはようございます!
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
この
自己肯定感ひくひく問題については
今までもかなりの数、考察してきた私。
安いものを買ってしまうのも、
「自分にはお金をかける価値はない」という自己認識があるからだと
思ってる。
なぜなら、自分がそうだったからだ。
経済的に苦しいわけではなかったのにも関わらず、
「専業主婦で、お金を生み出さない自分が高級なものを買ってはいけない」
と強く思っていた。
お金は生み出していなかったが、
その間、命を二つ生み出して、
そこそこ立派に育てましたけどもねっ。
くっそ。
実は
「自信満々なやつより、少しくらい自己肯定感が低い方が
謙虚で努力するし、
人間的に賢げに見えるんじゃないのぅ❓」
などと
なんなら肯定的に受け止めようとする自分もいる。
でも自己否定をエネルギー源とするのは
やっぱ、ちょっとしんどいんじゃないかと思うわけ。
うん、どう考えても、
自己否定はダメだ。
🔳自己否定の根本原因
前回の記事で
自己肯定感が低くなったのは、戦後の三つの政策からだ
という話をしたけれど
現代でいえば、Instagramをはじめとする「映え」系SNSがそれに拍車をかけている。
テレビに出ている女優さんと自分を比べて落ち込むことはなくても
知り合いや、自分と環境が似ている人の素敵なライフスタイルを見せられると
ついつい自分と比較して落ち込んでしまうというのは良くある話だ。
この「比較」からどう抜け出せばいいのか、
私は、先日のグレフェスでその「比較」の世界から抜けるヒントを得た。
それは「視野をめっちゃ広げる」ということだ。
というのも、グレフェスに集まる人たちの種類があまりにも多種多様すぎて
比較する、とかもうあまり意味がない感じになってしまったんだ。
もしかしたら、私たちがつい比較して自己否定してしまうのは
狭い世界の中で
似たような価値観の人とばかりつるんでしまうから
(学校、幼稚園の保護者、職場など)
なのかもしれないなって。
SNSも、アルゴリズムで似たような動画ばかりが上がってくるから
つい「世界はこんな感じ」と、何かしら自分の中での判断の基準が一つになっちゃって
その自分で作り上げた「完璧な正解という幻想」と、
現実の自分を比較して勝手に苦しんでいたりするのかもしれない。
たとえば
「インスタで素敵な家に住む
片付け上手でおしゃれで素敵な〇〇さん」と自分を比べたり
「女子の体重は45キロ」
とか
「年収は最低一千万以上ないとだめ」
「時間と場所に縛られず自由に働くスタイルがかっこいい」
などの刷り込みも、よく考えたら馬鹿馬鹿しいが、
結構多くの人がハマりがちだ。
でも本当は、もっともっと、
いろんな価値観があって、
いろんなしあわせの形があって
それは他人とは
比べようがない。
🔳みんなに当てはまる唯一の正解はない
この「みんな同じじゃないとだめ」「みんなと違うと周りから浮く」「間違うと怒られる」
などは、学校教育のせいだという人も多い。
まあそうかもね。
どうしても、「欠点」を見つけられて、
それを直せと怒られる。
そりゃやんなっちゃうよね。
だからこそ、
家庭では、「正解は一つ」じゃない
「考える力」を伸ばすような教育をしてもらいたいなーって
心から思うよ。
家庭まで、学校の真似をする必要はない。
子供の持つ「平均との違い」を
その子の「個性」だと、
せめて家庭では受け入れてあげてほしいんだよ。
受け入れる練習として
子供の部屋の
片付けのやり方なんかは、
子供に任せたらいいと思う。
細かいことまで口を出すのは、
百害あって一利なし、だよ。
片付けなんて、たとえどんなやり方をしても死にはしない。
最も自由にしていいカテゴリーなんだよ。
そういうもので、「子供にハンドルを委ねる」練習をすればいいんじゃないかって思うわ。
そうやって育った子供は、
少なくとも片付けを「嫌い」にはならないと思う。
好きになるかどうかは人によると思うけどね。
🔳「正解がない」から善も悪もない。
「みんなに当てはまる正解はない」
という世界なら
同時に「不正解」もなくなる。
これ、とても重要。
散らかっているのがだめ、という単純なジャッジもできなくなるし
裏側にあるそれぞれの事情を推測すれば
相手を簡単には否定できなくなる。
部屋が散らかっていたとしても
体調やメンタルが弱っていて、休養中かもしれんし
何か、めちゃ仕事をしている途中かもしれんし
全出しして片付けの真っ最中かもしれんじゃんね。
逆に
たとえ短期的な視点で見たら、
100パー悪いことに見える出来事も
長期的視点で見たら、
その出来事が人生好転のきっかけになったりして
「結果、よかった」となる場合もある。
だから、単純に善悪のジャッジはしない。
それが賢い人の振る舞いなんじゃないか。
あかん自分も、それもまた私。
完璧な人も、完璧な状況も、
そんなん、ないよ。
不完全であることが、
人生というゲームを楽しむための必須要素、
なのかもね。
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