旦那との家事分担にイライラしていない❓
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おはようございます!
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
「家庭科は他の学科に比べてバカにされるよ、と言われて、家庭科教師を辞めようかと思った」
と一緒に働く先生が言った。
似たようなことは他の先生からも聞く。
「だから、バカにされないようにアカデミックな研究を掘り下げて
教科書にもそれを盛り込もうとする傾向にある」
と言うことらしい。
だから家政学会の研究は
いちいち重箱の隅をつつくような
狭くて深くて
こんな私の頭では理解不能な
高度な内容となっているんだと腑に落ちた。
でも、それって、なんか論点がずれているように思っちゃうんだ。
目次
🔳良くも悪くも「ザ・女」家庭科の世界
家庭科非常勤講師となって3年目。
まだまだペーペーの新人であるが、
色々と見えてきたことはある。
それは「家事全般」に対する女性特有の微妙な感情だ。
もちろん、
あくまで個人的な意見だけど
家庭科の先生たちは
家事全般の高度な知識を持つ専門家であり、
家事の大事さを伝えているにも関わらず
実生活では家事を「めんどくさいもの」
「やらなくて済むならやりたくないもの」と捉えている・・・
というか、
男性も家事分担をすべきである、
という概念は
働いている女性だからこそ、
ものすごく強い。
なんなら私の方が稼いでいるのだから、
旦那はもっと家事をするべきだ、
という気持ちも見え隠れしたりする。
まあ、なんだろか
家事の押し付け合い・・・というか・・・❓
家事労働する方が、
賃金労働より価値が低いと、
家庭科を教えている先生自体が思っている、
というのが
純粋に「これでいいんかな・・」と思うのである。
・家事はやりたくないが、自分のやり方は通したい
とにかく、家庭科の先生だけに限らず
家事に関して女性は
とてもアンバランスな感覚を
内側に抱えていると思う。
古い価値観(女性が家事をすべき)と
新しい価値観(家事は平等に分担すべき)
が同居してしまっているのが
原因ではないかと推測する。
その二つが、場合によって
都合よく出たり入ったりするもんだから
側にいるものとしては
めちゃめんどくさい。
・家事は夫婦が分担して阿吽の呼吸で指示しなくてもやってほしい
・でも、旦那のやり方は気に入らないから私のやり方でやってほしい
・タイミングも最適のタイミングで動いて欲しい。
・しかし旦那の方が家事の主導権を握って偉そうにするのは許せない
・でも責任は負いたくない。どこまでも平等でありたい
・嫁や娘など、他の人が自分と違うやり方をしていたら気になって指摘し、なんなら上から目線でダメ出しまでしてしまう
・だけど自分のやり方に他人が口出ししてくると猛烈に不愉快
どうだろうか、こうやって言語化したら、
「女ってくそやな」と思っちゃうね💨
もちろん、そんな人ばっかじゃないことはわかってる。
分担をうまくやっている夫婦もいるだろう。
でも、共感する人も多少なりともいるのではないかな。
頭ではわかっちゃいるけど、
感覚としてそう思っちゃう。
なんだかんだ言って
「女が家事をすべき」という今までの古い価値観をそう簡単には手放せない。
と言うことなんだ。
家事を完璧にできる女性に憧れや嫉妬の感情も湧く。
家事をいい感じにサポートしてくれる旦那に憧れる。
でも、「サポート」とかいう言葉にはイラっとする。
…
まあ、
言い出したらキリがない
「家事」のことになると
こういう感情が湧いてきてしまうのは
価値観の転換期だから仕方がないと受け入れよう。
そして、新しい価値観を徐々に作り上げていかねばならない。
このクソみたいな女性独特の
自虐マインド、妙なプライド、平等信仰、家事に対する価値の見誤りを
いい感じに手放していくにはどうすればいいんだろうか。
🔳根本にあるのは女性自身による「女性蔑視」
ちなみに
今、世間で声高に叫ばれている「男女平等」という概念に
私は懐疑的だ。
男女とも同じく社会で活躍し、経済活動をする権利を守るべきだ
という考え方からして、
もう「金」しか頭にないのがまずおかしい。
価値があるのは金だけなんかい。
金があれば、命がなくてもいいんか。
コンビニに行けばお母さんのご飯など必要ない。
洗濯はコインランドリーがある。
掃除や片付けは業者に頼めばいい。
子育ても男性も育児休業とればいい。
男女は平等だから、女性も同じ勤務体制で、お給料も同じに。
家庭科はそんな感じで授業が進んでいくが
・・・・・
おかしいやろ。
毎月の生理、命をかけた出産の体調不良、ホルモンの乱れによるメンタル不調、
あたりの女性固有のハンデのことがすっぽ抜けとるやないか。
そこは女性の甘え、気合いで乗り越えろ、みたいに扱っていないか。
とんでもない。
女性は、男性に比べて
いろんな痛みや不調に耐性がありすぎるから
弱音を吐かずにやれているだけなんだ。
弱音を吐いても「甘ったれてる」と言われるだけ。
だから言わない。
だからさらに男性は理解できない。
今は
「金」を稼ぐ役割が偉くて
「命」を生みだす役割は、
なんか当たり前のフツーのことで
特に褒められるほどのことではない
という感じなんだけど
その認識を女性も受け入れちゃってるのがアカンのやと思うよ。
まずは自分で自分の価値を正しく知ること。
そうすれば、あなたという存在に光が宿る。
🔳教育者という立場だから伝えられること
まあ、いつものように感情の赴くままに
今日もブログを書いてしまったが
このような視点は
すでに
女の家事分担のストレスなんかから解放された
フリーダムアラフィフの私だからこそ、
言える理想論とも言える。
だから、まさに今リアル奮闘中のあなたに、
この話がどこまで響くかは全く未知数だ。
伝わって欲しいけど。
でも、この話、意外と高校生には
多少伝わっていると実感しているんだよ。
自分のお母さんや、彼女が言わない
女性としての「当たり前の女性としてのハンディ」について
ちょっと距離のある大人のおばさんの私が
赤裸々に語ってやることができるからだ。
自分が考えていたよりも、
女性はもっと守ってやるべき存在なんだと、
男性に気が付かせる教育をしたいと私は思う。
そして、女性側にも同時に、
男性が当たり前に受けている
社会的重圧に対して理解してあげられるように、
想像力と認識の範囲を広げてあげたい。
一人では生きられないよ。
役割が違う者同士だからこそ
新しい世界を作り出せる。
極論、
違いを乗り越えるための秘訣は
「理解と愛」だ。
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