買い物大好きで、捨てられない。
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おはようございます!
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付け研究所員の
エクリュプラス竹内真理です。

先日、こんなブログを書いた私ですが・・
さっき、この動画を見て、
こういう捨てられない人と同居する人の立場に立ったら、
そうも言ってられないな、と思いました。

🔳とはいえ「他人は変えられない」
もし、この現場に私が出くわしたら、
どーすっかなー、と考えながら見ていたよ。
普段、こういう片付けのプロ系の動画、あんまり見ないんだけど
今回は初めてしっかりと最後まで見た。
いやー、すごかった。
私もきっと古堅先生みたいなリアクションになるなーと、思いながら見た。
すごく配慮しながら会話を進める古堅先生にすごーく好感が持てた。
この動画を見ずにブログを読み進めている人のために
大雑把に状況を解説すると
今回は
「服が大好きな同居のお姑さんが自分の部屋どころか客間の和室にまで服が進出してしまい、
もうすぐ行われる法事ができない」
と言うお嫁さんの悩みなんよね。
お姑さんの服がもう、半端ない量なんよ。
しかも、お姑さんは案外他人事で
特別困っている風でもないと言う・・・。
この後、
古堅先生がこの部屋をどう解決していくのか、
まだ見るまえに
自分なりの考えを書いてみるとするならば
ずばり
「お姑さんの服がどっさりと吊られたままの客間で
そのまま法事の日を迎えちまえばいい」
です。
ひど。
もう私、
片付けの依頼、来なくなるかもしれん。
🔳気付きは「失敗」でしか得られない
だってさ
このお姑さん、依存心ハンパないんだもん。
「誰かがなんとかしてくれる」って、思っているんだもん。
片付けだって、古館さんがやってくれると思って
「もう少し服が選びやすくなればいいな」なんて言ってるんだもん。
オカーサン‼️
もう、そんなこと言ってる場合じゃないんだよっっ。
自分は、お友達とのおつきあいで、
常におしゃれにしていたい。
気持ちが自分の事にしか向いておらず、
一緒に住む家族にどれだけ迷惑をかけているかとか
もうすぐ行われる法事(おそらくご主人様の)のことなんて、
気にもしていないように見える。
だったらさ、こっちもそんな感じで
「お母さん、明日、法事なんですけど、この部屋どうします❓」と
ほけーっとした顔で、
法事直前の夜とかに聞いてみればいいんだ。
お嫁さんがそこまで責任を担う必要はない。
片付けは、思いやりと言う側面を持つ。
自分のことしか見えておらず
平気で家族に迷惑をかける行為は
思いやりのかけらもない、視野の狭い幼稚な感性だと思う。
百歩譲って無理くり
お姑さん側に立って考えてみるとしたら
とはいえ、このお姑さんにも
ここまで服にこだわって、自分を飾ることに執着するようになった
何かの理由がおそらくあるんだろうとは思う。
寂しさや劣等感なんかも強いのかもしれない。
大量の服を買っても買っても、埋まらない心の穴があるのかもしれない。
でも、それはお姑さんの課題であり、
私たちがそれを代わりに埋めてあげることなんて、
逆立ちしたって、できないんだよ。
うちらは心のプロでもなんでもないんだからね。
原因は何にせよ、お母さんはこの
服を買うことで得られる「脳内麻薬」
の虜になってしまって、考える力を失っている。
そこから脱出できる心の強さを
こんな半自動的な片付けと同時に得られるかどうかは・・・
私的には難しいと思うわ。
少なくとも、私は今までそれで何度も失敗してきたから。
買い物依存は、そうそう治らない「心の病」だから。
だから、
お姑さんがこの「買い物依存」と言う習慣からぬけだす直近のチャンスが
「法事で恥をかく」ではないかと思ったんだ。
失敗やピンチって、悪いことばかりでもないんだよ。
それによって人は自分の習慣や癖に気がつき
軌道修正したりできるから
他人が先回りして守ってあげるのも、良し悪しなんだ。
とか言って。
私、意地悪かな。
🔳「詰める」は「捨てる」と同じこと
で、結局、
この家をどう古堅先生が片付けたかというと
お母さんの寝る場所だけを確保して、快適にきちんと整え、
残されたスペースにぎゅぎゅーっと服を詰め込んだのだった。
もちろんキャスターなどを追加して
服をいつでも探し出せるように機能的になってはいるんだけど、
要不要の分類なども、そこまではやる時間がなかったと思う。
そこで私が思ったのは、
「ここまで詰め込んだんじゃ、探し出すのも大変だ。
結局古い服はそのままに、また新しい服を買うのではないか・・・」
ということだったが、
それはどうも古堅先生も承知の上のようで
別の動画で
「私はとにかく「捨てられないものを収納に詰めこんで更地を作る」と言うことをやっている。
でも、結局「詰め込む」は「捨てる」と同じような意味だ」的なことをおっしゃっていて
なるほどな、と思った。
私はどうしても、残すものに関しては、
その中から必要な一軍をちゃんと救い出さなければと思っていたけど
それをやっていたら、時間は三倍以上はかかる。
だから、
まずはバクっと、捨てずに
物の濃度を高めつつ空いた空間に積んでいき、
広くて快適な「更地」を作って
そこに希望を生み出すのだ。
確かに、根本的な解決にはなっていないし
捨てないことで、今後の消費行動に変化も生まれにくいかもしれない。
でも、
その人にはその人の段階があって、
ものに依存しないと心が保てない眠りの状態にある人に、
無理やり「目覚めろ」と言うのは酷なことなんだよね。
古堅先生のこのやり方は
私にとって、「それでもいいのかもな」と思わせてくれた。
捨てずに収納したていで詰め込んで、
実は「捨てると同義」だと内心思っている古堅先生、
いやー、なんともあっぱれ。
(先生、解釈が違ってたらごめんなさい)
限られた時間で、
お客様に、一歩先の希望を見せる。
私が「放置して恥をかかせろ」などと超スパルタな意見を出したのにも関わらず、
古堅先生は、本当に優しい人だ。
🔳できることは「自分自身のことを整え大切にすること」だけ
何度も言うけれど、
このお母さんはおそらく今後も
機嫌よく買い物をして物を増やすだろう。
この作業が数年で無駄になる可能性もおそらく高い。
でも、
それでいいとも思う。
ゆるく見守るしかないんだよ。
お母さんは変わらない。
だから、お母さんではなく、自分にちゃんとベクトルを向けよう。
その変わらないお母さんと、
今後も同居する選択を取ろうとしているあなたにできることは
なんだろうか。
それは、あなたが自分の空間を大切にして、
物を大切にして、
家族を大切にすることだ。
もし、お母さんが好きになれなければ
特に好きになる必要もない。
でも、自分の人生の選択に関しては自己責任なんだから
丸っと受け入れて
その範囲で一番ご機嫌に暮らせるにはどうしたらいいかを考える。
それしかない。
世界はあなたの内面の「写し鏡」。
意識するのは、「変えることが可能な自分の範囲」
そこだけでいいんだ。

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