幸せってなんじゃろね。
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おはようございます!
脱力系ライフオーガナイザー
徳島お片付け研究所員の
エクリュプラス竹内真理です。

家庭科の授業で「高齢者」というカテゴリーをやることになった。
高齢者とどう向き合っていくか・・・色々と考えていたら
つくづく
「あーっ、子供たちには迷惑かけたくないっ」という気持ちが湧いてきた。
そういう考えが良い悪い・・・という議論は置いといて、
純粋に「自分の人生は自分で責任を持って最後まで生きたい」と思ったんだ。

🔳高齢者がhappyに生きられる社会とはなんだ
で、老後をどう暮らすかと考えたときに「ハッピー姥捨山」を作って、老人同士で住みたいわ。
という話になった。
専門家からすれば、「そんなんむりだろ」と思うかもしれないけど
素人的には、「独居老人よりはマシじゃね」と思うんだけど、どうなんだろうか。
もちろん一緒に住めば、喧嘩もトラブルも色々あるだろうが
それもこれもボケ防止だと思えば楽しめるかもしれない。
本当は、そこに「保育」機能も持たせたいところだが
それには預ける側の親の器の大きさが求められるし、
責任追及されても困るしね。
あくまで、勝手気ままに老人たちがhappyに暮らせる「新・姥捨山」があれば、
私なら喜んで行くけどな。
もちろんしょっちゅう現世に降りてくる。買い物とか、レジャーとか、しにくるけども
基本、暮らしは「姥捨山」でやる。
めちゃ気楽そうで良いじゃん‼️
🔳姥捨山は本当にあったのか
ちなみに、この「姥捨山」というキーワードは
不意に出たギャグのつもりだったが
それに嫌悪感を示してしまうというのならば
別のキーワードに置き換えて読んでほしい。
でも、ここまで書いて気になったから
姥捨山について調べてみたら
姥捨山は実際には存在しない、という説もあるそうだ。
また、飢饉などの際に、口減しとして老人が若い家族のことを思いやり、
自らその道を選んだとか、
老人の持つ知識で困難を乗り越えることにより、姥捨の習慣がなくなった・・とか
まあ、色々と諸説あり面白い。
過去からずっと、この「年老いた存在」についてどう向き合うかは難しいテーマなんだろう。
でもできるなら、私はせめて死ぬ時に「おばーチャーーーーん😭」と孫たちに号泣してほしい。
なんなら孫たちにも「まりお」って呼ばせたい。
いろんな事を孫たちにしれっと教えたいし
この世の中は希望に満ちていると思わせたいし
何より、あなたはめちゃくちゃ愛されている存在だと、心の底から思わせたいし
困難があっても、自分にはそれを乗り越えるだけの力がある、と思えるようにさせたい。
何事も押し付けず、
全てのことを受け入れて、
ただ空気のように存在し
愛を与えたい。
そして、自分の人生を心ゆくまで楽しみ、
無理をせず、腐りもせず、悲観的にもならず
小さなことにも「ありがたいありがたい」と
手を擦り合わせ、地蔵に前掛けをプレゼントするような年寄りになりたい。
出来るだけ、長く健康で
自分のことは自分でできて
もちろん無駄なものを抱え込んで家族を困らせるようなことはせず、
残された人生で何をしようかと、ちゃんと決めて、そこに向かう。
好きなものだけに囲まれて、ほくほくとそれらを愛でる。
私の老後のビジョンはこんな感じ。
あなたのビジョンはどんな感じ❓

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