昨日見た映画のせいか。それともさっき読んだ本のせいか。不安が止まらない。
■徳島・脱力系お片付け・ライフオーガナイザー®竹内真理のブログ■
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こんばんは!
時々夜に友人と映画を見に行く
徳島お片付けラボ
エクリュプラス竹内真理です。
今回は門田隆将さん原作のドキュメンタリー「Fukushima50」。
なんとなく、今に重なる気持ちになって、背筋が凍りました。
「平和はいつ終わるかわからない」からこそ「今」できる事を。
地震も、原発の事故も、そしてコロナも、一気に私達の「普通の暮らし」をぶち壊す。
未来なんて本当にわからないものです。とくにここ近年は。
子供が東京にいるから、常に不安が頭にのしかかる。
もはや、片づけに悩む事すら、「平時の幸せ」であり、そんな事よりももっと大事な事があるんじゃないか・・・とすら考えてしまって、ブログが進まないので(←またしても言い訳)
今日は朝から猛烈に庭木を剪定したり、粗大ごみを三回も出しに行ったり、高圧洗浄機でデッキを全部きれいにして、ペンキがはがれかけてみんなから評判が悪かった木の塀も、高圧洗浄機でめっちゃきれいにしました。
頭が不安でいっぱいな時は、
体を動かす作業で何も考えないのが一番・・・。
家族を大切に思う気持ちが生み出す力
ちなみに「Fukushima50」とは福島原発の事故の時、最後まで現場に残った作業員の方々の事を海外メディアが英雄としてたたえた呼び名らしい。
でも、申し訳ないが、私はそれを知りませんでした。その人達が自分の命をなげうつ覚悟で危険な現場に残っていろんな手を打ってくれなかったら、日本の半分は人が住めない土地になっていたそうです。
そんなこの国を救ったすごい人達の事を、なぜ私は知らなかったのか。それともみんなも知らされていないのか・・。
まあ、映画でもその人達は、特別「英雄」として描かれていたわけではないが、ただただ、自分の職務を全うし、仲間を思い、家族やこの土地を守る事だけを考えて、結果、自分を犠牲にする覚悟をした・・・という。
ライフオーガナイズの思考の整理でも、一番大切なものは?と聞くと、大概の人が「家族」と言います。
究極、家族の命が一番大切なんです。
たぶん、自分の命よりも。
だから、いざという時に私達はすごい力を出す事ができるのかもしれません。
できる事は「家の純度」を高める事
とはいえ、コロナの大暴れを前に、今の私達に出来る事って、本当に少なくて無力感にさいなまされます。
どこまで病気は深刻なのか。経済はこれからどうなるのか。
家にこもっていたら、どんどんとネガティブな気持ちが湧いてくる。
「だったら何をしたらいい?」と問いかけた時、やっぱり私にできる事は、家の中を整えて、出来るだけ穢れを無くすことしかない。
まあ、これは不安にまみれた田舎にのこされた母の世迷い事だと思って聞いてくれたらいいけど、
私はこの世は「フラクタル(一部が全体と自己相似な構造を持っている図形の事)」だと思っていて、

全体も一部も同じ形。
宇宙と人間の細胞がとてもよく似た構造を持つように、家庭という社会の最小単位は、社会全体と相似関係にあるかもしれないと勝手に想像するのです。
家庭という塊は、社会の細胞のようなものだから、細胞の一つ一つが幸せであるなら、社会も幸せになる。
だったら、家庭をスッキリ清潔に、余計なモノや不浄なものを取り除き、気持ちの良い空間にすれば、社会もそうなるかも・・・という発想です。
家庭は社会からみたら「一つの細胞」
それって、案外100%変な説でもないと思うんです。
だって、家庭の一つ一つが余計なモノをたくさん取り入れて、老廃物をためて不健康になると、社会全体としても、それは健全な形じゃないよね。
逆に、私達が、きちんとしたものを選んで購入したり、ちゃんと消費して、いらないモノをためないようにしたりすることで、食品ロスやゴミが減ったり、いろんな意味で循環可能な社会に近づく。
私達がもし、それをきちんと意識して、「暮らし」を整えはじめたら、へんに不安にあおられたり、衝動的な行動に出る事なく、冷静に現状に向き合う事が出来るかもしれない。
「家庭」は「社会」の細胞。
一つ一つの「家庭」がスッキリクリーンになったら、コロナもどっかいくかもよ?
明日は家じゅう雑巾がけしてみよっと。
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